ナコーンラーチャシーマー県ムアンナコーンラーチャシーマー郡にある、ターオスラナーリー記念碑(อนุสาวรีย์ท้าวสุรนารี)へ行ってきました。
ナコーンラーチャシーマーがヴィエンチャンからの侵略を受けた際に、領民と協力してラーオ軍撃破に一役買ったことで、王からターオスラナリーの称号を賜ったコラート出身の女性の像。
月日が経った現在も、ヤーモーの愛称でタイの女傑として多くのタイ国民に敬愛されています。
いつ行っても参拝者の絶えないコラートの聖地。
今回は、ターオスラナーリー記念碑(อนุสาวรีย์ท้าวสุรนารี)をご紹介します!
ターオスラナーリー
1771年にナコーンラーチャシーマー県で生まれたモー氏(โม)。
25歳の時に、後のナコーンラーチャシーマー副領主となるトーンカム氏(チャオプラヤーマヒサラーティボディー)と結婚します。
チェスが上手で象や馬に乗ることが得意だったそうです。
1852年に亡くなりました。享年91歳でした。
女傑と呼ばれる所以
1826年、ヴィエンチャンのアヌウォン王がラーオ族解放のため、ラーマ3世に反旗を翻しナコーンラーチャシーマーへ侵攻します。
ナコーンラーチャシーマーは陥落。捕えられたモー氏達は、ヴィエンチャンへ連行される途中でラーオ族の将兵を酔い潰して襲撃します。
モー氏達は住民を指揮してピマーイ遺跡に砦を築き、バンコクからタイ軍が到着する
までラーオ軍に抗戦しました。
ラーオ軍の侵攻をナコーンラーチャシーマーで阻止し、このことがアヌウォン王敗走の一因ともなり、結果的にヴィエンチャン王国滅亡へとつながります。
後に1827年にラーマ3世より、ターオスラナリー(ท้าวสุรนารี)の称号を賜りました。
ターオスラナーリー記念碑
1934年に完成した、タイの一般庶民の女性としては初の記念碑。
高さ1.85m、重さ325kgの青銅で作られた仏像の下には遺骨の一部が納められているそうです。
滞在中何度か参拝しましたが、朝も夜も、1日中参拝客が絶えません。
大人から子供まで手を合わせている姿を見ると、このコラートに住むタイ国民にどれほど崇拝されているかが垣間見えます。
ちなみに毎年3月23日から4月10日にかけて、彼女の偉業を称えるためにお祭りが催されているそうです。
ターオスラナーリーが建てた寺院
戦争から帰った後に、夫のチャオプラヤーマヒサラーティボディーと建てた寺院です。
寺院にはターオスラナーリーの遺骨が納められています。
ターオスラナーリー記念碑の場所
ナコーンラーチャシーマー市街地の中心、チュムポン門の目の前にあります。
施設情報
名称 | ターオスラナーリー記念碑 Thao Suranaree Monument อนุสาวรีย์ท้าวสุรนารี |
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住所 | Rajadamnern Rd, Nai Mueang, Mueang Nakhon Ratchasima District, Nakhon Ratchasima 30000 |
地図 | Google Maps |
参拝時間 | 24時間 |
参拝料 | 無料 |
今回ご紹介した、ターオスラナーリーに関しては諸説あるそうです。
センシティブな話題なので、ご興味がある方は調べてみてください!
個人的にはタイ人が敬愛している人物であれば私も一緒にお祈りしたいなーという気持ちです。
また、ラオスとタイの関係についても色々あるんだなぁと、今回見聞を広げることができました。
タイではターオスラナーリーが英雄となり、ラオスではアヌウォン王が英雄とされているそうなので、何とも感慨深いですね。
何はともあれ、ご興味がある方は一度参拝されてみてはいかがでしょうか!
以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございましたー!